その人もやっていないとか、俺に襲われたとか適当なことを言っていた。俺はやっていない。
何度そう言っても誰も聞いてはくれない。誰もが言っていた。その状況そのものが信じられない。
ありえないとさえ、言われた。
「でも、何となく分かるんだよ。あの日の場合は視線がな、いつもと違っていた。
殺す気満々だったんだ。だから、対応できた」
そのことをはなに話すと「どうして逃げなかった」と聞かれた。
なるほどと、納得してしまった馬鹿な自分がいた。そうすれば、今よりかは話を聞いてくれたのだろう。
マシな状況になっていたはずだ。あそこまで追い詰めた理由が分からない。
「それ以外にも俺が気に入らないやつが大勢いるみたいでな。喧嘩を毎日吹っかけられた。
で、全部相手にしてた。しばらくしてまた牢獄に送られた」
殺しにかかってきた奴から自分の身を守って何が悪いのだろうか。
「周りは俺を見て殺人鬼だの何だのって……近寄ってこなくなった。
別に好きで傷つけていたわけじゃないんだけどな。正当防衛って言うんだっけ? こういうの」
聞いてみると、先生は頷いた。
「意味としては、間違っちゃいないよ」とも答えた。
使い方は合っているらしい。
「で、結局はなのところに回された」
どうせ、いつか殺しに来る。前の奴と大して変わらない。あの人をよく見て、気をつけているか。
そのくらいのことしか思わなかった。
「あの人、全然殺す気ないんだよ……それどころか、優しくしてくる」
あの人は最初に言った。「私は君を殺すつもりはない」と。「だから、誰も傷つけるな」と。
その時一緒にいた部下も驚いていた。
何故、そんなことを言ったのだろうか。そしてその言葉通り、傷つけるようなことはしてこない。
約束をしたというわけではない。無視しようと思えば、無視できる。
あの人が何もしてこないから、俺は何もしない。それだけの理由だ。
それでも、気持ちが悪いことには変わりはない。
「あの人、絶対に怒らないんだ。いや、怒るっていうか……何ていうか。
憎いとかさ生意気とかさ……思ってもおかしくないんだよ。あんだけやらかしたんだから。
それでも何もしてこないんだ。あの人。いつも困ったように笑うだけで」
周りは言う。『優しい人間でよかったな』と。あの人が傷つけるつもりは本当にない、らしいのは分かった。
だが、俺には何か裏があるように見える。優しくしてもらっても、そう簡単には信じられない。
「訳分かんなくってさ……逃げたり、色んな事言ったりして。
こっちに来ている間はせめて、嘘でもいいから仲よくしようかってあの人の言われたんだ」
仲がいいように見えていたなら、それでいい。それが本当になるならもっといい。しかし、できない。今は。
「……全然気づかなかったや。すっかり騙されちゃった」と彼女は笑った。
「なるほどねえ……彼に気に入られているっていうのはどうかな?
だから、手放さない、とか。だから優しくしてくれる。んじゃないの?」
考えながら、ゆっくりと慎重に答える。
「ありえないだろ……『使い物にならない青い鳥』とか言われてんのに。
ただでさえ、嫌われてんだ。俺のせいで。気に入るはずがない」
前向きな理由はありえない。だからといって、別の理由があるようには思えない。
「シロを押し付けられた理由も、俺がいるからだと思うんだ。
俺を理由に面倒ごととか、厄介ごと持ってきているような気がする」
「……それはちょっと考えすぎなんじゃないかな?」
「かもしれないけど……」
「少なくとも、彼は気に入っていると思うけどな。じゃなきゃ、今頃ここにいないって」
先生は朗らかに笑った。
「それでも、君のやっていたことは間違っているんだろうね。そこはちゃんと理解しなきゃいけないよ」
一瞬にして、真顔に戻った。