奇々怪々 〜而の章〜
今宵の満月は不思議なことが起きると言わんばかりに青白い。空に浮かぶ月を見て、古橋アイラはそう思った。
空に浮かぶのは丸い月だけで、星はひとつも出ていない。
同じく月の光に照らされているこの村もまた、おそろしいほどに静かだ。
彼女が村に着いた時間はすでに、多くの人人が眠りについている。
それでも、時間が止まってしまったかのようだ静寂が支配しているこの村で動いているのはたった一人の少女のみ。
それが古橋アイラというわけだ。今日は一日中、隣町でお店をめぐっていた。
いろいろと見て回っていたら、すっかり遅くなってしまった。夜の一本道を風の様に走っていく。
腕に抱えているのは大型の銃に見立てた水鉄砲である。
明るい橙色で塗りたくられたそれは、夜の闇でもその存在感を放っている。銃弾の代わりに入っているのは水だ。
鉄砲に取り付けられた小さな貯水槽の水が走るたびに揺れるのが分かる。しばらく走って、やっと家にたどり着く。
「あれ? 開かない?」
引き戸を何度引いてもびくともしない。普段なら、するりと開くはずなのに。
「どうしてだろう」
よく見ると引き戸に見慣れない文字が列を成している。謎の文章は光を放ち、浮かび上がっている。
何と書いてあるかも分からない。文字自体も見たこともない。一体どこの国の言語なのだろうか。
「何これ……どういうこと?」
浮き上がった文字は近くに落ちていた布で拭いても全く落ちない。自宅の窓には柵が生えている。
こちらもぼんやりと光っている。周りの家もよく見ると、窓は封鎖されている。
そう考えると、戸には同じように文字が浮かんでいるのだろう。
「どうしよう。何が起こっているの」
その時、どおんという爆発音が町中に響いた。風に紛れて、燃えたようなにおいが漂う。
音の方を見ると、板が転がっている。家の玄関口から煙が上がり、入り口は崩壊寸前だ。
「おお。出れた出れた」
「ヒロ君! どうしたの?」
左目に眼帯をした青年が現れた。神弘希、アイラの幼馴染だ。
この時間まで起きていたというと、また機械でもいじっていたのだろうか。この村は外からやって来た船がよく立ち止まる。
そのため、異国から様々な物が入ってくる。
その中でも、ヒロは輸入されてくる機械をもらってきては解体したり、別の物を生み出したりする。
何に使うのかは分からない。作ったものが役に立った覚えもない。
本人が好きだから、勝手にやっているだけだ。今の爆発は彼が作った物が起こしたのだろうか。
「どうしたもこうしたもない。戸には変な文字が浮かんでいるし、窓には柵が生えているし。
外に助けを求めようにも、人っ子一人いやしない。それで面倒だったから、扉ごと吹き飛ばした。で、アイラは?」
「私は隣町から今戻ってきたところ」
「おいおい。こんな時間まで何してたんだ。ていうか、何だその兵器は」
「おい! 誰かいないか!」
聞きなれた声が届いた。明るい茶色の髪が月に照らされている。
「お前ら! よかった! 無事だったんだな!」
家の角から皇ミツルが息を切らして、こちらへ向かって来る。
これで、いつもの三人が揃った。
「お前、どうやって抜け出してきた?」
「話すと長くなる」
「何やったんだ」
「お前こそ何やったんだよ。あんなでかい音出して。おかげで眠気も吹っ飛んだ」
「簡単だ。外に出られないから、扉ごと破壊した」
「はい?」
「爆弾を作って扉を破壊した。やり方次第では身近にある物で作れるからな」
「だからこんな焦げ臭いのか~って、おい。いくら何でもやりすぎだろ。大丈夫なのか」
「開かない扉はただの板だ」
「いや、怖すぎだから。で、アイラは?」
「私はたまたま外にいたの」
「おお、それはよかったな」
「隣町で買い物してたの。あっちこっち回ってたら、遅くなっちゃって」
「その兵器は戦利品という訳か」
「兵器じゃないよ。中身は水」
「なるほど水鉄砲か! これはまた斬新な見た目だな!」
「斬新……奇抜の間違いじゃないのか」
「そうだ。ミツル君、これ読める?」
戸に浮かんでいる文字をミツルに見せる。扉に浮かんでいる文字にぐいと顔を近づける。
この文字を真っ先に彼に見せたのには理由があった。
ミツルはこの国では珍しい魔術師の血を引いている。
異国の貿易商の中に混じってやって来たのが始まりらしい。それ以降、船に乗ってその手の人々が増え始めた。
今ではたまに見かける程度の存在になりつつある。あいさつをされたら返すくらいの距離感だ。
彼は遠い先祖に強力な魔術師がいるらしい。
おかげで生まれつき、この国にいる化け物や幽霊などの異形の者たちが見えていた。
話せるようになると、会話をしていた。
気が付けば、山の妖怪から相談を受けるくらいには仲良くなっていていたらしい。
この国でいう化け物、つまり妖怪はよく人間にいたずらをして困らせている。
それはこの国全体の隠れた問題だが、上の連中は妖怪の存在を認めようとしない。
役人を名乗っている割に、役に立たないのはどこも同じであるらしい
。結局、この村において、妖怪に関しての問題はミツルに任されていると言っても過言ではない。
それでも、妖怪のことを誰かに相談されても、退治はせずに追い払うだけである。
ミツル本人は『そういう力は求めてないから』とのことだ。最近はこの国以外に住まう幻獣や化け物を研究している。
その知識を何に使うのかはさっぱり見当もつかない。
しかし本人が楽しそうだからという理由で、放置している。
今回の異変もミツルなら何か分かるだろうとアイラは考えたのだ。
「これ、鬼たちが使ってる文字だな……けど、何か違うもんが混ざってる。何だこりゃ」
「鬼?」
村の近くの山には鬼の一族が住んでいる。鬼だからと言って、悪いことはしない。
むしろ、悪さをする妖怪を仕切り、村の守護者の役目を担っている。
「うんっと、何だ。今日の夜を境にこの村にある全ての窓、扉を封印し、人間を出られなくした、と。が、どうなってるんだ? こいつらがやった訳じゃねえみてえだ」
「どういうこと?」
「鬼たちには必ず大将がいてそいつの命令しか聞けない。
もし、鬼たちの力を借りたいなら大将に話を通さなきゃならないんだが」
「ならば、鬼の大将を唆した馬鹿がいるというわけか」
「うーん……そういうことになるんだけど、どうも違うんだよな。鬼の字じゃないっていうか」
「鬼どもが使っている文字だと自分で言っただろうが」
「そうじゃなくて、何て言えばいいのかな。ほら、俺とヒロで同じ文字を書いても、絶対に同じ形にはならないだろ?
それと同じでさ、アイツの字じゃねえんだよ。これ。誰が書いたんだ?」
「アイツ?」
「ああ、鬼の大将さんのことな。要は誰かが手本のようなものを真似て書いたんだと思う」
「よりによって、扉や窓を閉ざすような術を?」
「それにしても、どっから引っ張り出してきたんだ? 人間に迷惑をかけるような連中じゃないのに」
「人間に迷惑がかかるから、こんなことをしたんじゃない? これから何かするのかも」
「それはないな。そこまでするなら、人間に助けを求めてくるだろうし」
「まあ、その鬼どもの話を聞いてみないと分からんな」
「そうなんだけどなー」
ミツルは頭をかく。これから向かおうにも、どうも頼りない。
これから会いに行くのは鬼と関わりを持つ何かだ。せめて家の中にある道具を持ってくることができればいいのだが。
「あれ! 人間です!」
白い着物を着た少女がこちらに向かってくる。
冒頭部分の試し読みでございました。
お値段据え置き大ボリューム! どきどきする一冊となりますのでぜひお楽しみに♪