規則正しい呼吸音が部屋を支配している。僕に発見されてからずっと眠っている。
上下する体を見なければ、死んでいるのではないかと勘違いしてしまう。
さて、一体どこから来たのだろうか。あの人が支配していた島に行ったときに入れ違いになったのだろうか。
しかし、それは数ヶ月前のことだ。今頃、とっくに死体になっている。
いや、そもそも船がなかったではないか。地図にも反応は出ていなかった。
どうやってきたのだろうか。空でも飛ばない限り、無理だ。
いや、空から来ても地図の反応は免れない。いずれにせよ、不可解な点である。
「あ……」
少女は眼を覚ました。ゆっくりと体を起こし、辺りを見回す。
そして、僕の顔を見る。次第に顔が青ざめていく。
「……あれ? どうなってんの! もしかして、趣味の悪い管理人?」
「趣味の悪いって……君は何かを勘違いているようだ。僕はただの学者だよ。そういう君こそ何者だい?」
学者という単語は久しぶりに口に出した。長い間、誰も僕のことをそんな風に呼ばなかった。
彼らも知ってか知らずか、ただ『先生』と呼んでいた。あの人は呼ぶはずもなかった。
少女は僕の顔を見張った。ゆっくりと僕を見た。
「学者……あの数年前に帝国から島流しにされた……? まさかあなたが? 本当に?」
島流しにされた覚えはない。あくまでも、僕が選んだ道だ。この島に残ることを決めたのは僕だ。
「まあ、向こうじゃ僕のことをそんな風に呼んでくれる奴なんてもういないだろうけどね」
「そんなことありません! 『優しい管理人』はあっちでもいろいろと残しているって聞きましたよ!」
彼女は頭をぶんぶん振って、力強く否定した。確かに優しい管理人だなんて、呼ばれていたのは事実だ。
「とにかく、会えてよかった……本当に酷い奴らなんです。
あいつらと一緒にいるのが嫌になってここまで来たんです。あっちに頼れる人なんていないし……」
何はともあれ、細かいことは後回しにしたほうがよさそうだ。
今はお互いに落ち着いて話せるような状態じゃない。後からでも事情は聞けるのだ。
「いいよ。できる限りのことはしようじゃないか。大体、こんな可愛い女の子といじめるような連中なんだろ? なんて酷い奴らなんだ。それで、君の名前は? 一体どこから来たの?」
「シロって呼んでください。今まで呼ばれた中で一番気に入っているんです。
それで、帝国から来たんです。あいつらから逃げるために」
「シロちゃん……」
呼ばれた中ということは、名前を知らないのだろうか。
親同士であだ名の様なものを決めていただけで、ちゃんとつけられてすらいないのかもしれない。
どうやら、よほど酷い親に育てられたらしい。子供の名前を呼ばないのだ。逃げ出すのも当然だ。
「シロちゃん、僕のことは自由に呼んで。ていうか、ここまで来て疲れただろ?
ベッド使ってていいから。まだ寝てなよ」
「え……でも、学者さんの寝るところが……」
「大丈夫。どこでも眠れる体質だから。ゆっくりとお休み」
僕は外へ出た。気がついたら、夜になっていた。相変わらず、何も変化がない。
いつも空と海をただ黒く染めるだけだ。星は申し訳程度に輝いているのみ。
月は出てこなかったらしい。実際、眠れるはずがなかった。
ただでさえ、久しぶりの来客である。しかも、帝国から逃げ出してきたというではないか。
そういえば、地図にまるで反応がなかったのが気になる。
船は来る途中で難破し、この島まで流されたとしても。
それでも、何かしらの反応が地図に出るはずだ。なぜ出なかったのだろうか。
壊れているのだろうか。言われてみれば、ここに持ってきてから全く触っていない。眺めているくらいだった。