だから、つゆのことも覚えていないのか。そんな風にひとりで勝手に納得する。
「それを教えてくれたのが、どんな人なのかな。気になるなあ」と話を続ける。
「……アンタが知って何になる?」
「一度会ってみたいとは思うけどな」
「アンタには関係ないだろ」
「関係ないって……そんなことないと思うけどなあ。
はなさんだって知りたいとは思うだろうし」
「あの人が知ったところで、どうにもならないだろ」
「どうにもならないって……君はそれしか言わないね?」
「だから? 何?」
会話が続かない。僕がそこまで言うと、長いため息をついた。
目を閉じて、ゆっくり開けた。
「……趣味の悪い管理人は二人もいるらしいな?」
踏み込みすぎたと気づいたときにはもう遅かった。
表情がなくなり、彼の眼から輝きがなくなった。
「なあ、俺がそんなに気に入らないか? 俺がそんなに邪魔か?
初対面からずっとじろじろ見てさ……何なんだよ。一体。気持ち悪いんだよ」
「いや、そのつもりは」
「もういい」
彼はぴしゃりと言った。これ以上聞いても意味がない。
「分かったよ。そこまで言いたくないんなら。深入りしちゃったね。ごめん」
「関係ない」と言われた時点で引けばよかった。ここから先は踏み込んではいけない領域だ。
彼に招かれない限り、触れてはいけない。僕は諦め、辞書を片手に読み進めた。
読み進められるわけがなかった。あの態度がどうしても気になってしょうがない。
あのどこまでも暗い目。光を寄せ付けないとさえ、思ってしまう。
それでも、あの中に悲しみのようなものが見えた。しばらく読み漁ったところでシロが迎えに来た。
「学者さーん……つゆー? 外真っ暗だよ?」
「うわ……本当に? ていうか、もうそんな時間?」
「んじゃ、続きは明日だな」
「だねー」
僕は立ち上がり、牢屋の外へ出た。つゆは座ったまま、本に眼を落としている。外に出ようとしない。
「まだ読んでるから……先行ってていいよ」
「分かった。あんまり無理しないでね」
僕はそれだけ言って、部屋を出た。シロは興味深そうに彼を柵越しに眺めている。
「何だよ」
「ねえ、そんなに面白いの?」
「別に」
彼はぶっきらぼうに答えた。
「あっそ」
それだけ言って、彼女は小屋へ戻った。それに僕も続いた。
彼らの方は収穫はなかったらしい。やはり、帝国の本には載っていないのだろうか。
よく考えてみれば、僕が向こうの収容所から持ってきた本は『依り代』の噂が流れる前に出た本だ。
載っていないのは当然なのかもしれない。
「ていうか、つゆは? どうしたんでしょう?」
「あー……すみません。本に夢中になってるみたいで。まだ中にいます」
「珍しかったよー。あの馬鹿にしては」
「……は?」
はなは間抜けな声を出して、目を丸くした。
「あんなに真面目になって本読んでるの初めて見た。明日、雨でも降るんじゃない?」
「ちょっと待った、どういうことだ?」
彼は信じられないという表情で、僕たちを見る。
「だからね、つゆがずっと本読んでるの! 今も向こうにいるから、行って見れば?」
シロのその一言で彼は弾けるように小屋を飛び出した。
「どうしたんだろ……あんなに慌てて」
「珍しいからでしょー? どうせ」
「そんなに本読まないの?」
「うん。はなの部屋にはいっぱいあるんだけどね。棚いっぱいにいろんな本がぎっしり詰まっているんだ。
ああでも、昨日の図書室ほどではないかな……壁一面ってわけでもないし。でも手をつけてるところ、見たことないよ」
彼女は気にせず、食事を続ける。
紙とペンを使って会話をしていたという話を彼女から聞いたのをなんとなく思い出した。
僕が気にすることではないのかもしれない。ただ、あのとき見せた目が気になってしょうがなかった。