シロがじっと珍しそうに俺を見ていた。柵があってもなくても、見られているのはあまりいい気分じゃなかった。
だから小屋に戻っていくのを見たとき、少しだけ安心した。確かに向こうじゃ本は読まなかった。
例え、読めても内容がこちらに向かってこない。本の中身が分厚い壁の向こうにあるような感じ。
それが嫌で避けていた。何で壁があるのかは分からない。壁を越える方法も分からない。
それもあまり周りとなじめない原因なのかもしれない。
だから、先生が持ってきた本は読めるとは思えなかった。
どうせ、分からない。あまり期待せずにページを開いた。
だが、見慣れた文字が眼に飛び込んだ。こんなところで出会えるとは思っていなかった。
向こうの管理人が残しておいたらしい。見知らぬやつに初めて感謝したかもしれない。
少しだけびっくりして、それからずっと読んでいる。帝国にあるどの本よりも分かりやすくて、頭に入ってくる。
馴染み深いからだろうか。内容が面白いかどうかは、微妙なところではある。
「ずいぶんと熱心なんだな」
上から声が降ってきた。声の元を見るとはなが立っていた。中に入ってこない。柵の前で立っている。
「……どうだった? そっちは」
本を閉じて、首を横に振る。向こうの収穫はなかったらしい。
まあ、その手の情報はもみ消されているに違いない。噂の発端でさえ、分かっていない。
俺はそうか、とだけ短く答えた。
「『依り代』に関して、何か分かることがあればと思ったんだけどな……そううまくはいかないらしい」
その場にしゃがむ。一瞬だけ目が合った。だが、俺はすぐにそらした。
「なあ、その本見せてくれないか」と、俺を覗き込む。
「どんな内容なのかと、気になったんだ」
柵からはなの手が伸びた。少しだけ本を見てからから、はなに渡す。
「この手の本は市場には出回っていないはずだ。君が読めるのが不思議なくらいなんだが……」
「俺には読めてアンタが読めないのが、そんなにおかしいのか?」
「そういうつもりじゃない。先住民が書いた本なのに、何で読めるのかと」
ため息まじりにそう答えた。先生もそんなことを言っていた。
「別にどうでもいいだろ……あんたには関係ないんだしさ。
それにしても、偶然とはいえこんなことってあるんだな。正直、びっくりした」と表紙をなでた。
確かに関係ないといえば、関係ない。知らなくても別にいい。
「それよりもさ、あの人は俺が来たことについてはどう思ってんだろうな?」
話題を変えた。これ以上答えるつもりはないし、続ける気もない。
「さあ……少なくとも嫌がっているようには見えなかったけど」
はなは柵にもたれて、座った。変なことは考えていないとは、確かに言っていた。
正直、俺のことを知ったところでどうにもならないと思う。深入りされるのはあまり好きじゃない。
「学者殿はあまり知らないんじゃないかな。こっちのことに関しては。だからあいまいな部分が多いんだと思う」
「……島の管理を任されていたからなのか?」
はなはうなずいた。先生が帝国を離れた後に、戦争は起きた。
そういえば、受刑者たちが強制連行されたときにこちらに残っていたと話していた。
何故、一緒に行かなかったのだろうか。その理由も気になるが、話を聞いて理解できるとは思えない。
「こんなところにまで情報なんて届くはずもないし。
私たちが来なかったら、戦争の勝敗を知らされていたかさえ、怪しいだろうね。
そう考えると、君の経歴なんてほとんど知らないんじゃないか?」
「さすがにそれはないだろ……でも、本当に何も知らないんだったらしょうがないのかな。
あんまり踏み込んでほしくはなかったけど。話したほうがいいのかな」
「?」
「いや……何でもない。じゃあ、また明日な」
そう答えると、はなは柵の前から姿を消した。何でも知っているのに、何も知らない。
なんだか不思議な感じだ。俺は本を横に置いて、横になった。
隣の部屋で金属音が響いた。どうやら、彼も眠るようだ。
「そっか……知らないんだな」
それを繰り返した。確か言われてみれば、こんな孤島に情報なんて届くはずもない。
俺たちが来るまでの間、ずっとひとりで何を考えていたのだろうか。
ずっとここにいた囚人が帰ってくることだけを考えていたのだろうか。